∞メール No.45

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一部を抜粋したものを下に掲載しています。

会員の皆様

映画「アバター2」が昨年12月から上映されています。見に行こうと思いながら、まだ、時間がとれていません。第一作のことをよく覚えています。次に示すように条件反射制御法と重なる部分があったのです。

私は条件反射制御法を2006年に開発し、臨床で用いながら、現時点でのヒトの行動が進化と密接に関係していることに気づき、その整理を進めていました。そのときにアバターを見たのでした。
その映画の中では、異星の住人がしだれ柳のように垂れ下がる枝の先に耳を当て、祖先のささやきを聞き、それを元に集団が採る方向を決めていました。進化という長大な時空における古代からのヒトと環境とのやりとりが現世代のヒトの活動に影響することを、メカニズムは合致しないけれど示した場面でした。

同じ年にハートロッカーという映画も見ました。その映画は爆弾処理という危険な業務にあたる兵士が帰還し、しかし、再び戦地に戻ることを描いた映画でした。映画はカラーでしたが、その兵士が生き残って任期を終え、戦地から戻り、家族と平和に過ごす日常の場面は白黒なのです。不明な理由で戦地に戻り、場面が戦地になると再び鮮やかなカラーの画面になり、その兵士は爆弾処理に活躍するのです。

2009年の第82回アカデミー賞で、ハートロッカーは6部門を、アバターは3部門を受賞し、ハートロッカーがその年の最優秀の映画になりました。アバターの監督ジェームズ・キャメロンとハートロッカーの監督キャスリン・ビグローは元夫婦で、元妻の勝ちになりました。

ハートロッカーでは、戦地での防御の成功により条件付けられた後天的な反射の作動が、兵士を再び戦地に戻すことを見事に描きました。一方、アバターは、古代からの先天的な反射が現世代の行動に影響することを描きました。私は、アバターのほうが深いテーマを扱っており、スケールが壮大だと感じたのです。

映画は社会的な主張をもつことがあり、その点から当時の世界情勢もあり、戦争に関係するハートロッカーが良い評価を受けたのではないでしょうか。アカデミー賞を選考する側に進化学者や進化を踏まえた上で行動を研究した者がいれば、社会に対する映画の影響がより深く検討され、アバターが第82回アカデミー賞の最優秀映画になったかもしれません。私は、アバターを撮った元夫のジェームズ・キャメロンに軍配を上げるのです。

平井愼二

CRCTを受けた方からの報告

結局、薬物をやめられないんだなと思っていました。(その1)

M.F
(2022年8月7日寄稿)

私の薬物との出会いは、友人の一言ではじまりました。その前まで、深夜のCMで「人間やめますか?それとも覚醒剤やめますか?」と言うくらいだから、私は覚醒剤などやるわけが無い、覚醒剤という物をやってしまったら死んでしまうんだと思っていたのです。

しかし、私の友人からの「エスがあるからやらない?」という一言で、始めました。エスってなに?と思いましたが、まさかそれが覚醒剤だと思いませんでした。「スゲー元気になるからやろうよ」と言われ、アルミホイルの上で何か結晶のものを乗せてライターで炙り、白い煙がでてきて、「吸うんだよ」と言われて吸ってみたら、何これ?と思うくらい、夜で疲れていたのに眠気がなくなり、気分が高揚してきてストレスが何処かに行ってしまう感じでした。それが覚醒剤に私が手を出した最初でした。

その後に友人から覚醒剤と知らされたのは、何回かやった後でした。私は、覚醒剤をやっていたのか、このままやっていたら死ぬんだ、もう止めようと思いました。しかし、その後も1か月に一回ぐらいならいいだろうと、軽い気持ちでやっていました。いつでもやめられると思っていましたが、2週間に1回くらいになり、さらに1週間に1回になり、回数が増えていき、気づいたら毎日やっていることもありました。もう止まらなくなっていたのです。

そして何年か経ち、私の家に刑事がやって来ました。わたしは寝ていたのですが、私を起こしに来た父が物凄い顔で怒っていました。何が何だか分からなくて、回りを見たら何人もの刑事が私のまわりを囲んでいました。その後の事はあまり覚えていません。

家族を苦しませることになり、反省しました。その頃、私はやりがいのある仕事を真面目に頑張っていました。保釈され、社長の前で土下座して謝りました。社長は許してくれて、丸坊主にはされましたが、何とか仕事に復帰できたのです。

しかし、あれ程反省し、もうやめられると思っていた覚醒剤なのに、バレなければ良いんだ、上手くやれば大丈夫という思いが頭の中を支配し始めました。そして2年も経たずにまた逮捕されたのです。家族、友人、会社の社長、私を許してくれた人達を裏切り、多大な迷惑をかけてしまいました。そして3年と言う長い期間を刑務所で過ごす事になりました。

刑務所の中では覚醒剤教育というものがありました。はじめて覚醒剤と向き合ったことで私は自分の意志ではやめられないことを知りました。引き金とは何かとか、思考ストップ法の使いかたとかがあったのを覚えています。私は真剣にその教育を受けました。刑務所の中でも実践してみましたが、正直中途半端な感じでした。本当にやめられるのかと不安にもなりました。そして2年ほどで仮釈放を貰って社会復帰できました。覚醒剤教育も受けたので、そこで学んだ事を実践すればもう大丈夫だと思いました。そして、わたしの家族が力になってくれて、仕事を始めました。

社会に慣れていき、ストレスも溜まり、気づいたら欲求だらけで、あれ程苦しめた家族の事や、あれ程辛かった刑務所生活をいつの間にか忘れて、やめようとする意志よりも欲求が頭を支配していました。そしてまた覚醒剤に手を出してしまいました。そして2度目の刑務所生活が始まりました。そこでも覚醒剤教育を受けました。内容は前回とほとんど変わりませんでしたが、私の中では、もう絶対にやめたいんだという気持ちだけは持っていました。

全部で確か15回の教育だったと思います。最後の覚醒剤教育のなかで、覚醒剤教育の担当していた人が、最後に「もしまた覚醒剤を使用してしまったらどうするか?」と言ったのです。私はどのような答が聞けるか、期待しました。しかし、その答えは、「2回目は絶対にやらないで下さい」でした。私は、結局答えなどないんだと思い、がっかりしました。一生治らないと教えといて、2回目はやらないで下さいでは、きっと1回でもやったらずっと欲求が出続けると思うのに、2回目はやらないでくださいが答えになるのが不思議でした。私はもし使ってしまったらどうすればいいのかを知りたかったのですが、その答えは2回目はやらないで下さいだったので、やはり誰にも相談はする事は出来ないのだ、相談してしまったら逮捕されてしまうのだと思いました。

それでも、私は覚醒剤に近寄らない強い意志でやめるんだと思い、また何とか仮釈放を貰い、社会復帰することができました。

しかしまた数ヶ月もすれば欲求もではじめました。家族のことを考えてどうにか何年かは手を出す事はありませんでしたが、欲求がでたときの対処が分からず、だれに相談するのかも分からず、辛い時間をすごしたのを覚えています。もう治ったと思っている家族には心配をかけられない、裏切る事はできないんだと強く思っていましたが、ある時また覚醒剤と出会ってしまってからは、あっという間でした。1回使用すると、頭が薬物の事でいっぱいになりました。逮捕されるのも時間の問題だと思いながら使いました。

そして私に待っていたのは4回目の逮捕でした。あーまた刑務所か、また家族を裏切ってしまった、正直生きていても意味が無いな、結局、薬物をやめられないんだなと思い、自分自身と向き合う事さえ出来ない状態になっていました。

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