会員の皆様
お元気でご活躍のことと存じます。
前回の∞メールから長い間ご無沙汰しており、まずは心よりお詫び申し上げます。2024年9月以来の配信となります51号をお送りいたします。
私は条件反射制御法を開発した2006年から、パヴロフの学説で示されている第一信号系と第二信号系の2つの中枢をヒトはもつと理解して、精神科医療での実務、並びに治療体系内での連携、治療体系と刑事司法体系の連携に関する研究を行ってきました。
しかし、その理解に基づく説明では、法律家の方たちの多くは欲求に理性が負けて行動する現象が疾病性に原因することを受け入れず、治療にかかわる方たちの多くはそのような疾病があることを認めても、2つの信号系があるとする理解は受け入れないことが続いていました。
私も、2つの信号系があるという理解では、判断に従って行動する能力の判定法に関して、十分な説明ができないことに気づき、この2年近くは第二信号系のメカニズムはどのようなものであろうかと多くの時間を費やして考えました。
また、私は1989年から長らく勤務していた下総精神医療センターを、2025年3月末をもって定年退職し、4月からは精神科クリニックを開業し、新たな環境で診療にあたっております。過去の診療等の整理と開業の準備、開業当初の目まぐるしい変化への対応がありました。
それらが重なり、∞メールの配信が滞ってしまいました。重ねてお詫び申し上げます。
上記の検討により至った次の考えを皆様にお伝えして、長い間の怠りを補うものになればよいと願っております。
提言
生理学的要素としての第一信号系と第二信号系の終焉
当会の目的は会則の第3条に次のように記されています。
本学会は、ヒトの行動原理を明確にして、生活を阻害する神経活動が反復して生じる状態に対する条件反射制御法の実践技術の向上を図る学術研究の促進、並びに反復する違法行為に対応する社会制度のあり方に関する学術研究の促進を目的とする。
私は専ら覚醒剤乱用者等の同一行動を反復する人に精神科医療の現場で1989年からかかわり、当初、欲求は消せないものだと感じていました。ところが、2006年にパヴロフの学説に従って新たな働きかけをしたところ、それまでの治療法を遥かに凌ぐ手ごたえを感じました。その治療法を用いた数か月の入院治療で欲求が消える患者が続出したのです。その技法を条件反射制御法と名付け、2012年には仲間を集めて研究会を作り、さまざまな問題や疑問を検討し、解明してきました。
その早い時期に、ヒトが行動する本当のメカニズムに従えば、多くの治療技法が整理され、また、刑事司法体系も効果的なものに再構築できると考え、上記の第3条を含む会則を定めました。
私はパヴロフによる命名を用いて、ヒトの中枢では刺激を受けて過去の生理的成功行動を再現する第一信号系と未来の社会的成功行動を計画して実行する第二信号系があり、各系の作動により、2つの対照的な作用が競合し、より強い側の作用が選択されて行動を左右すると理解して、実務と研究を行ってきました。また、パヴロフはおそらくは第二信号系のメカニズムを示しておらず、私もそれを不明なままにしていました。
そこまでの理解でも、決意に反して特定の行動が発現するメカニズムは、過去には不思議でしたが、容易に納得できました。また、そこまでの理解でも、欲求を抑制するために技法の細部を明らかにする検討、並びに、治療体系と刑事司法体系の連携に関する検討において、相当な程度に理論的な展開を支えました。
そのような展開があったので、この理解の特異性が明らかになりました。研究や実務にかかわる方たちの多くはヒトの行動を司る中枢作用を、意思あるいは意志、認知などの語句を用いて表しているので、中枢作用を一元的に理解せざるを得ません。この理解に基づき、刑事司法体系は同一違法行為を反復する人に主に刑罰で対応して多くの再犯の発生を許し、精神科医療やその周辺の援助者の方たちは精神作用の表層への働きかけが主になっていることが多く、欲求を抑制できません。私は、ヒトが行動するメカニズムを説明する際や対応を計画する際に意思あるいは意志、認知などの語句を用いてはならないと考え、そのように主張してきました。
それに対して、第一信号系と第二信号系の名称を使用することにより、中枢作用を二元的に捉えられます。二つの系が対照的な作用をもって並列的に存在し、それらの間で競合と選択が生じると理解できます。その理解に基づき、理論展開がヒトの中枢作用への対応性を保ち、決意に反して生じる行動を説明できます。
技法の細部を明らかにする検討は、第一信号系があると想定してその作用を生じる反射の繋がり方と強さを変更する方法が焦点でした。また、治療体系と刑事司法体系の連携に関する検討は、まずは治療体系が第一信号系に、刑事司法体系が第二信号系にはたらきかけ、また各体系が他の体系を利用して自らの体系に不足したところを補完する∞連携を基本的な構造として、各局面の調整をするものでした。したがって、第二信号系の作用が生じるメカニズムが不明であることは、技法の検討に関しては全く阻害要素にならず、連携の検討においてもほとんどの局面において阻害要素にならなかったのです。
ところが、その理解による主張が、中枢を一元的に考える方たちに対して、効果的なものになっていたかというとそうではありませんでした。同一の違法行為を犯して服役をする人に行動制御能力が欠けていることに関して、法律家と議論するとき、過去の生理的成功行動を再現する第一信号系があることを何回も伝え、理解を得て、前提にしたはずなのに、最後の結論直前の理論展開において、法律家は、二つの信号系が摩擦して選択が生じるという理論を平然と逸脱しました。ヒトは意思で行動するという誤った前提に舞い戻りました。私は驚愕するのですが、多くの法律家との議論においてほぼ同様のことが起こるのです。
研究や実務に関わる方たちの多くが、ヒトの中枢作用を一元的に理解し、無意識的に前提にしていると思われます。最高裁判所を頂点にした刑事司法体系では、意思で行動するという誤解に基づいた意見を主張し、言い渡しをすることが正当であると評価され、報酬として検察官や裁判官に給料が支払われ、昇格があります。また、法学の研究においては、法や判例の解釈が主な焦点であるらしく、中枢を一元的に捉えた法や判例を元にした検討により賞賛されることが法学の研究で反復されます。精神医学とその周辺の領域では、認知という語句を使った議論が活発に行われています。つまり、中枢を一元的に捉えた前提があるために、研究や実務にかかわる多くの方において、それに基づく理論展開の後に強化効果を受けることが反復され、中枢を二元的に捉えた理論を受け入れることが極めて困難な程度にパターン化された思考が進むようになっているのです。
そのパターン化された誤った思考を展開させないためには、その思考を司る反射連鎖の各反射の作動性よりも、正しい思考を展開する反射を強く連続的に作動させることが必要であり、そのような刺激が連続する理論展開が必要です。しかし、私によるヒトの中枢作用の説明は、進化を経て成立した未来の社会的成功行動を計画して実行する作用に関する部分が欠落していました。理論展開においてその作用を生じるのが第二信号系であると規定しても、その名称は、「最高裁判所」や「認知」という語句より弱い反応しか生じさせられなかったのだと今は考えます。
第一信号系と第二信号系の名称を用いた理解は、中枢作用を二元的に把握する優れた点があり、私が専ら反復する行動への対応を開始した当初の混沌の整理を強く支えました。しかし、∞連携の各局面の調整において行動制御能力の判定の方法を明確にする検討に取り掛かった際に、違法である行為に関して促進する作用と制止する作用を比較しなければならなくなりました。この作業は、それまでの理解に基づくと、第二信号系が社会的に違法であると知って止める作用と、第一信号系が強化された反射で進める作用のいずれが強いかを比較するものであり、それらの作用がどのように生じるかを説明する作業です。仮に回答を第一信号系と第二信号系の名称を用いるならば、突き詰めた理論の焦点を再度広げることになり、理論展開は緩くなり、正しい結論に至りません。つまり、信号系の名称はヒトが行動するメカニズムを説明しきるには不十分なのです。
当会の学会誌条件反射制御法研究第12号に掲載された私の論説に、第一信号系と第二信号系の名称が出てきます。しかし、それらをヒトが行動するメカニズムを説明する材料としては用いておらず、説明される対象として出てきます。また、第一信号系と第二信号系の説明に用いたものは反射とその性質のみです。
この先、反射とその性質のみを元にして、欲求を抑制し、回復を支える援助的な働きかけ、判断に従って行動する能力の判定法、刑事司法体系の再構築を会員の皆様、並びに中枢作用を一元的に捉えている方たちと議論していきたいと考えています。