会員の皆様
私は30年ほど前に千葉県精神保健福祉センターで薬物乱用に関する相談指導を行っていました。精神保健行政が薬物乱用専門の相談窓口を設けることは恐らくは初めてであり、当時の若菜センター長による英断によるものでした。職員との何気ない話しで、私が「いつか通常の相談と同様に薬物乱用者を受け入れて対応するようになるだろう」のように言うと、激しい拒否にあいました。薬物乱用と聞くだけで強い反発を受けていたのです。しかし、現在では全国の精神保健福祉センターに薬物乱用に対する相談がなされています。
サッカーのワールドカップに日本代表が出場し始めた頃は、枠内を捉えたシュート数を数えるまでに至らず、前を向いてシュートを打たせてもらえなかったのです。テレビで観戦していて、とても悲しい気持ちになりました。ところが、今年のカタール大会では日本代表はドイツとスペインに勝ちました。
時代は動いています。
現在、条件反射制御法はまだまだ普及していません。しかし、自然の理に適ったこの技法は、強力な効果をもつのでその基盤理論とともにいずれ世界に広まり、反復する行動に対応する中心的な技法となり、他のさまざまな治療技法を整理するでしょう。
また、その基盤理論である信号系学説に基づき、違法行為の反復は疾病性に原因しているという知識が普及し、治療施設が整備され早期のかかわりが勧奨され、さらに刑事司法体系は再構築され、反復性のある違法行為で検挙された者には刑罰と治療や訓練が適切な強制力をもって提供されるようになるでしょう。
CRCTを受けた方からの報告
覚醒剤を乱用する生活から立ち直れました。(その3)
- 覚醒剤への欲求は全く生じていません -
A.G.
(2022年6月8日寄稿)
条件反射制御法には自分の体験を書き出し、後に読み返す作業があります。入院中は、良かったこと100話と辛かったこと100話をまずは簡単に、そして、詳細に書き出しました。
良かったことの簡単書き出しにおいて静かな空間で過去を想起する事で、数年も忘れていたたくさんの良かった思い出を思い出すことができ、自分の人生は圧倒的に「幸せ>不幸」の幸せな人生であったことを再発見しました。
良かったことの詳細書き出しで、自分自身のみの力で努力して勝ちとったと思っていたことも家族や友人がいなければ成しえず、自分は自分だけで生きているのではないことを感じました。自分に慢心があったことに気づきました。薬物を使用する口実として「自分の人生は自分のものだから自分の生きたいように生きればいい」と思っていましたが、それは大きな誤りであり、常に自分は自分以外の人との関わりあいの中で生きているのだと感じ、今後、そのような慢心を抱くことはなくなると思います。
辛かったことの簡単書き出しは、良かったことより遥かに大変な作業でしたが、今回のような機会でなければ行うことができなかったと思います。
この辛かったことの書き出しは苦しくて、辛くて、覚醒剤への欲求が生じました。特に辛かった事は思い出しているうちにこれ以上思い出すのが苦痛になって手を止める事も多々ありました。しかし、閉鎖病棟であり、保釈中でもあり、逃避することもできないため、苦しくても受け入れながら想起しました。その内、想起しても辛さは弱くなり、最終的には辛くなくなり、覚醒剤への欲求が湧くこともなくなりました。この辛かったことの書き出しと読み返しも、刺激を入れて、苦悩や欲求が反応として生じても、病棟の安全な環境にいるままであり、生理的報酬がないので、反射が抑制されるという基本に則った作業であることを実感しました。
また、辛かったことの簡単書き出しで、自分の場合、辛かったことの多くが薬物と密接に結びついていたことに気づきました。薬物を使用している時は気づくことではなく、今だから気づける事でした。薬物が自分にもたらす直接的な害悪はこの作業なしでも思いだそうと思えば思い出せますが、間接的な害悪はこの作業なしでは気づくことができないことでした。他の治療法では刺激(トリガー)から逃れる事を求められ、生きづらくなりますが、刺激はどこにでもあり、通常は気づかないものだと知りました。CRCTではどんな刺激を受けても過剰な反応が生じないので、生きやすくなります。
そして、辛かったことの詳細書き出しで、間接的な害悪が薬物使用からどうやって引き起こされたのかを考えることができました。過去は変えられませんが、今後、薬物を使用しなければ辛いことの少ない人生になると思いました。
薬物を使用し続け、今後、人生が破綻するようなことがあれば、幸せな過去すべてを台無しにしてしまうとも感じ、薬物を今後絶対に使用しないと考える事が出来ました。これは第二信号系に訴えかけるもので、第一信号系後天的反射連鎖と第二信号系の双方に良い影響を及ぼす作業だと思いました。
退院直前、内観療法を5日間実施しました。家族について内観しました。良かったことの書き出しと似ていますが、私がいかに家族の支えで「生かされている」かを知り、涙しました。これまで嫌な事があれば「自分は不幸だから何をしても(覚醒剤を使用しても)いい」と、理由をつけていたのですが、そうではなかった事に気づかされました。
上記のような経過で3か月の入院生活を過ごし、退院しました。
退院直後、第二回公判があり、尋問に応じて、CRCTの概要および欲求が完全に消失したことを裁判官に伝える事が出来ました。あまり被告人と目を合わせない裁判官でしたが、CRCTの説明の際にはこちらを見て実際のおまじないの動作等をしっかりと見ていただけました。
最後に発言を求められ、自分は家族や会社に支えられ生かされてきて、必要とされている事を話そうとした時、書き出しや内観で想起し、気づいたことが一気に噴き出し、泣いてしまいました。普段は無理をしてでも必要以上に明るくふるまっている私ですので、人前で泣いたのは小学生の時以来です。感涙したのは生まれて初めてかもしれません。感極まっていて具体的に話した内容は覚えていませんが、自分はただ生きているだけでも幸せな人間であり、薬物など自分の人生にとって不要なものだ、といった事を最後に裁判官に伝えられました。条件反射制御法も内観療法も非常に辛く、大変なものでしたがそれらをして本当によかったと、改めて実感しました。
そして判決の日、自首した事、会社に復職できる事、病院で治療を受けたことを情状に懲役2年執行猶予4年(保護観察付)を言い渡され、社会内に留まる事ができました。
その後、約半年ぶりに会社に復帰し、同僚に温かく迎えてもらえました。現在も維持作業を継続し、週1度の尿検査も実施して結果をCRCT回数票の写真と共に平井先生に送り、勤務を続けております。
最終使用から6年以上が経っており、CRCTを入院治療で受けた後は、覚醒剤への欲求は全く生じていません。しかし、覚醒剤は怖いものです。5年は明確な幻聴の後遺症があり時短勤務で給与が使用前の3分の2になり、非常に眠くなる抗精神病薬を仕事中にトイレで隠れて飲む事などをし、また眠気で職務を行う能力を失っている事が上司にも分かってしまうので、重要な業務を任されないなど辛い経験をしました。
現在は月に一度、持続性注射剤を受け、なんとか寛解しております。治癒を目指す者には禁句ですが、覚醒剤の使用が「ダメ、ゼッタイ」なのを痛感しました。
私はこの先、後遺症は治ると信じておりますので、規則正しい生活を続け、完治させ、CRCTを社会に広め、同じ物質使用障害の人々を助ける存在になりたいと思っております。