会員の皆様
季節は一気に変わり、すでに真夏日に何回もなった地域があります。
新型コロナウイルス感染症はやや治まり始めた兆しがあるのですが、まだまだ、気をつけなければなりません。医療者の方はワクチンの接種を終えた方がほとんどでしょうか。早く安心できる状態に戻ってほしいものです。
今回の∞メールでは条件反射制御法を受けた性嗜好障害の方から、入院前の状態についていただいた報告を掲載します。すでに、入院中の変化と退院後の状態についての原稿も届きました。それらは次号以降の∞メールに掲載いたします。今回は、一連のご報告の1つめです。
CRCTを受けた方からの報告
私の性嗜好障害とCRCT体験記(1)
- 藁にもすがる思いで入院しました -
R.O.
(2021年5月11日寄稿)
私は電車内の痴漢行為によって4回も刑務所に入った30代後半の男です。逮捕されていない痴漢を含めると、1000回以上行ってきたと思います。ほとんどの刑期が1年以下と短いとはいえ、20代から何度も刑務所を出入りしてきました。他の性行動も活発で、出会い系などのサイトを利用して100人以上の女性と会ってきました。
そう聞くと、見た目は清潔感がなくて気持ち悪く、無職かつ住所不定の男を想像なさるかもしれません。しかし、4度目の刑務所に入る直前までの数年間は、得意の語学を生かして主にヨーロッパを中心とした海外出張を繰り返す生活をしていました。お客様と接する機会も多く、仕事上では「明るく社交的」と言われることが多いです。ずっと学校の成績は良く、スポーツも得意でした。
そんな私ですが、物心ついた時からコミュニケーションには難がありました。集団に合わせることがとても苦手で、いわゆる「空気を読めない」子でした。しかし、中学・高校の6年間はずっと学級委員長を務めてきていて「空気を作り出す・導く」ことには長けていました。私のコミュニケーション能力には著しく偏りがあり、どうして人との付き合いがうまくいかないのだろうとずっと悩み、自己肯定ができずに生きてきました。
痴漢の直接のきっかけはインターネット上にあった「痴漢体験記」でした。たまたま読んだもので、どんな風に痴漢をしたか自慢気に書いている掲示板でした。今思えば真偽が定かでないものがほとんどだと思いますが、当時中学生だった私は興奮し、「私にもできるかもしれない」と思ってしまいました。
高校の通学は満員電車で、初めてスカートの上からわずかに触れた女子高生は全く身じろぎもせず抵抗しませんでした。その方は毎日同じ時間の同じ車両に乗っており、しだいに私の行為はエスカレートし、スカートや下着の中にも手を入れるようになりました。とても怖くて動けなかっただけだと思いますが、私は「この子は嫌がっていない。私は受け入れられたんだ」と自分勝手に解釈しました。痴漢をしている時は、相手を自分の意のままに支配できているような感覚と、いけないことをしている背徳感で満たされました。自尊心が満たされるような感覚もありました。
スカートの上から始めはわずかに偶然に触れているようにして、周りにバレないように被害者から声を上げられないように慎重に行為をエスカレートしていく。「今日はスカートの中まで手を入れられた」など、自分自身のスキルが上がっていくような達成感のようなものを感じられ、私はのめり込んでしまいました。それは風俗や合意の性行為では味わえないものでした。
ほとんどの加害者がそうだと思いますが、慣れている痴漢ほどホームで女性を物色しています。スカートを履いている大人しくて声を上げなそうな、混雑している車両に乗り込む女性をターゲットにするのです。「黒髪から金髪にしたら痴漢に遭わなくなった」という記事を読んだことがありますが、とても納得できます。ホームで物色をして、その後ろ姿を追いかけて電車に乗り込みます。何度も繰り返しているうちに、スカートを履いた後ろ姿の清楚系の女性を見ただけで、興奮するようになりました。また、私は満員電車に乗った時だけでなく、電車の音やアナウンス音を耳にしたりテレビなどで満員電車を目にしたりするだけでも動悸が早くなってきました。これらはまさに条件反射が形成されたのだと思います。
高校3年生の時に初めて痴漢で逮捕され1ヶ月半ほど勾留されましたが、私は否認し続けました。20年ほど前は、今では違法になってしまうほどの長時間の取り調べ、自白強要、恫喝、調書の一部改ざんなどが行われました。(現在はそれらを防ぐためにかなりシステムが変わりました)。それらが行われたことによって、私が行った痴漢行為に対する冤罪の疑いが強まってしまい、弁護団が結成され、いくつかの大きな新聞社と報道番組から取材を受け、私の大学の入学式にもカメラが入りました。多くの方からご支援を受け、私は自分が犯したことに対する反省が深まるどころか、自分を悲劇のヒーローのように思ってしまいました。私の両親は喧嘩ばかりしていましたが、「冤罪の息子を助けよう」ということで結束し、仲が良くなりました。私の犯罪行為はむしろ正当化されたように思えてしまったのです。そして徐々に「本当に私は痴漢行為をしていなくて冤罪なのだ」とすら思うようになってきました。裁判は数年かかり、私は執行猶予付きの有罪判決を受けました。
数年後に私はまた逮捕され、今度は刑務所に入ることになりました。家族をはじめ私の周囲には申し訳ないと思いましたが、被害者に対する謝罪の気持ちはほとんどありませんでした。刑務所の中では「今度こそもっとバレないようにうまくできるはず」「あの被害者は確かに嫌がったけれど、なかには触られて感じている女もいるに違いない」「満員電車に触られやすい服装で乗るのが悪い」など身勝手なことを思っていました。出会い系サイトで会った女性と電車や映画館などで痴漢の疑似プレイを繰り返してきたことも、私の感覚を狂わせてきた一因だと思います。
何度か逮捕されているうちに、さすがにこのままではマズイと思い、精神科のクリニックに通いました。痴漢専門のクリニックに通い、認知行動療法を受けました。そこでは、被害者の方たちの傷の深さや苦しみ、ストレスマネジメント、どのようなことがきっかけで自分が痴漢行為に至りやすいのか、それを避けるにはどうしたら良いのかなどを学びました。
それらは私にとって役に立ったと思います。実際、痴漢行為が収まった時期もありました。しかし結局、私は私自身を止めることができませんでした。普段は理性を保てていても、満員電車でスカートの女性を見かけると身体と脳が勝手に動いてしまうような強い力が働きました。脳がふつふつと煮立ち、動悸が上がり、呼吸が乱れ、活力が湧いてきます。私にとっての痴漢とは狩猟のようなものでした。一般の方はジェットコースターに乗ったときの感覚に近いかもしれません。やっかいなことに「また捕まってしまうかもしれない」という自分の人生をかけたリスクがあることに対して、逆に底しれぬスリルや興奮を感じるようにもなっていました。
当然のことながら満員電車を普段から避けるようにしました。私は満員電車が発生しない海外の仕事を多く入れるようにしました。しかし、日本滞在時には急な事故や遅延などで予期せぬ満員電車が発生してしまうことがあり、直近はドイツから帰国した直後の電車で再犯をして逮捕されてしまいました。
条件反射のように身体が勝手に動いてしまうような私は、いったい何者なのだろうと思いました。私は日頃からフルマラソンを走ったり語学を勉強したりと、人と比べて意思は決して弱くないと思います。仕事では無断欠勤や遅刻をせず、他の犯罪もしません。しかし性的なこと、特に痴漢に対してはどうしても抑えることができない。痴漢したい気持ちがないにも関わらず、なんだかやらなければ落ち着かないような、一種の義務感のようなものすら感じた時もありました。これは決して、欲求、ストレス、意思や共感性の欠如だけの問題ではないのだと思って色々調べたところ、条件反射制御法を知りました。入院前に何度も電話やメールでお問い合わせしたにも関わらず、精神保健福祉士のHさんから丁寧な回答をいただけたことも信頼でき、私は下総精神医療センターへの入院を決意しました。海外の文献まで読みあさって色々試しているにも関わらず今まで治すことができないので、私は藁にもすがる思いでした。