会員の皆様
ラグビーワールドカップでは日本がアイルランドに勝ちました。
ティア2の国がティア1の国に堂々たる勝利を収めたのです。そのようなことが起こるのだと世界に示しました。今後、多くの国が刺激を受け、日本のように力をつけ、格上の国に勝つことが起こり始めると思われます。伝統的な格付けを表すティアという言葉は、ラグビー界で古い言葉になるとも予想できます。
私達の学会も、世界の精神科領域の技法に衝撃を与えるために頑張りましょう。
次の報告は韓国で条件反射制御法を受けた方からのものです。治療にあたった朴先生が日本語に訳しました。
CRCTを受けた方からの報告
病的盜癖 治療記
P (韓國)
(2019年7月13日)
私は1982年頃子供を流産してから盗癖と憂鬱症に苦しんでいました。
初めの症状は光が嫌で、家中カーテンをひいて暗くしても足りず、タンスの中に隠れたりしていました。そうしているうちに他人の家の洗濯紐に干されていた赤ちゃんの服を持ってきてしまうようになりました。
驚いた家族が色々と病院を探しました。始めはA大学病院の神経科で治療をしましたが、特に良くなることはありませんでした。B大学病院の精神科で検査を受けましたが、駄目で、C大学病院の精神科に入院しました。それにも関わらず、盗癖は全然よくならず、大同病院が精神科専門病院だと紹介され、大同病院に来ることになりました。
外来で治療を受けたり、入院をしたりする中、朴相運院長の勧めでCRCTという治療法を知り、治療していくことにしました。
初めの基礎知識テストとKWA(Key Word Action:制御刺激)に接した時。「こんな方法で長い間病んでいた私の病が治るのだろうか?」と疑う思いも湧きました。しかし、不思議なことに回数を重ねるごとに心が穏やかになり、安定していくことを私自身も感じました。こうなってやっと確信することができ、「よし、頑張ってみよう」と決心できるようになりました。
しかし、また事件が起きました。院長先生が入院して治療しましょうとおっしゃったのに、私が外来で通いながらしても大丈夫だろうという安易な考えから起こった行動の結果でした。
拘束は免れましたが、裁判を受けなければならず、私は死ぬ覚悟で治療にしがみつきました。院長先生の勧めで入院をしながら本格的に治療をしました。
当然起こるべきして起こったことだと院長先生はおっしゃり、私は死ぬ覚悟で治療を受けました。
KWAのステージを過ぎ、疑似ステージに入ると、思ってもいなかった驚く症状が表れました。持ってきた物を奪われないよう大声をだしたり、悪態をついたり、背中に汗をかいているのに腕と顔には鳥肌がたち、吐き気がしてトイレに駆け込まなければならず、予期できない症状が表れる度に私は心配で怖かったのです。
疑似ステージの始めの頃は疑似万引きを10回行うのに1~2時間程かかりました。そうして終わり、病室に戻るとクタクタに疲れ起き上がる気力もなく、めまいがし、動くこともできず寝込んでいました。特に疑似をするときは誰かが窓からのぞき込んでいるようで、神経を余計に使い、心配で恐く、窓を紙でふさいでしまいました。疑似ですが、盗んでいる姿を見つかるのが怖かったんだと思います。
疑似万引きで、治療者の指示に従って中断した時は、身体変化がもっとひどく表れました。
疑似万引きを200回するまではとても辛く諦めたくなりました。ところが500回を過ぎると身体変化が少し減り、中断した時は症状が少し残っていましたが、800回が過ぎようとする頃には身体変化は著しく減り、1,000回を終わった時には若干の頭痛だけ残りましたが情緒的には安定していました。
疑似万引きを始めた頃は「どうやって1,000回を全部するのだろう」と遠く感じましたが、終わった時感激して涙を流しながら、なぜ1,000回するようにおっしゃったのかその理由がわかったように思いました。約4ヶ月という時間の間、言葉では言い表せない…. 。新しく生まれ変わったと思いました。あまりにも不思議で、神秘的でもあり、私の体の毒素が全て抜け出したようなそんな気分でした。
良い事を書くときは知らずに過ごしてきた幸せだった時間に感謝し、涙を流し、悪いことを書くときは胸が引き裂かれそうな苦痛に胸を痛めました。
そのように時が過ぎ、想像ステージに入ると、はじめは疑似ステージの時と同じような反応が表れました。涙、鼻水を流しながら「私のだ」と叫びながら院長先生が持っている物を力いっぱい掴んでいたのです。そんな時はいつも頭が割れるように痛く、体中汗をビッショリかき、疲労困憊しました。ところが疑似ステージを終えていたせいか想像を開始した後は症状が長く続きませんでした。
疑似ステージと想像ステージをして、社会内の本物の店舗に行って直接自分の状態を点検してみたくなり、実行しました。驚きました。店舗に行くと過去にはキラキラとしていた私の目が、平然としていました。以前なら手に取っていた品物も、その前を通り過ぎただけです。何よりも欲しいと思っていた心のコントロールができていました。監視カメラさえも目に入りませんでした。
店員を見ることができました。店員が私を注視しているようだったので、何もせずにいました。
何よりも自分の心をコントロールできていました。以前なら事件を起こし後に家に戻ってハラハラしていましたが、その場所で怖さを感じたので、驚きました。
想像ステージを終え維持ステージに入って退院しました。ところが病院では穏やかだったのに家に戻ると何の理由もなく不安で焦り、外に出ることができませんでした。何よりも寝ることができませんでした。
3ヶ月でまた入院し、疑似ステージをずっとしています。ところが入院中にまた事件を起こしてしまったのです。何が理由だったのか不思議と思い出せません。以前は思い出せないということはありませんでした。私も自分自身が分からず、許すことができず、辛いです。何故私がまたこんな事を起こしたのか死にたい気分でした。
治療スタッフは治療している過程だから失敗はあるものだと言い、「アルコール・麻薬のような場合はどうだろうか」と聞かれました。私の答えは「酒だから、麻薬だからまたする」でした。「同じ疾病なのに、何故アルコールや麻薬はまたするのに、盗癖はどうしてダメなの」と言われました。「同じことだけど 、でも、私は犯罪じゃないですか」と答えました。犯罪という思いが先立ったせいか、私は自分自身を許せません。二度と再びこんな症状は起こらないと思っていたので、本当にこの状況を受け入れるのが死ぬことより嫌でした。誰より一生懸命生きようと最善を尽くしたのに、何故こんな酷い結果になってしまったのか…。それまで抱いていた夢が壊れてしまう虚脱感を感じました。
治療スタッフは私に短い時間に完全な治療を願うのは欲張りだと言われました。 「数年間患っていた疾病が1~2年治療を受けてサッと治ったらこの病院の前に列ができる」と私を説得し、治療を諦めないよう勇気と希望をくださいました。普通の人は「治療しているのに如何してこんな症状がでるんだ? 治療してもダメみたいだ」と思います。それで 「とても辛い」と言うと、先生は「ちゃんと治療しているのだから、長い間大変だったのだから、グラフに描いてみなさい」と言われました。「今、以前と同じ高さにいるのだろうか。」と考えると、変わっていることを私も感じていましたが、結果にあまりにもガッカリしていました。でも、変わっていることはわかりました。治療スタッフがこれまで実施した疑似と想像のステージでチェックした「行動刺激に対する反射症状観察表」の全過程の統計グラフを見せてくださいました。一目で私の行動の変化を見ることができ、また初心に帰る機会になりました。
数日前、息子が私と一緒に生活必需品を買いに病院の近くにある大型店舗に行こうと言いました。息子と一緒に店舗の売り場に入り、息子がトイレに行くために私を残していきましたが、以前の私だったなら直ぐに品物がある所に行きあちらこちら触り回っていたと思いますが、今の私はそんな思いが全然せず、ただその場所で立っていました。
遠くで見守っていた息子が売り場の方に来て“母さん、よくやったね.”と言うと私をグッと抱きしめてくれました。休みの日の度にそのように毎回店舗に行って私を見守ります。私を見守ってくれる息子がいることに今日も感謝しながらどんな苦しみがこようとCRCTの綱を手放すまいと堅く誓っています。
以前は品物を見ると気に入った物があれば“欲しい”と思いましたが、今は“かわいいわね。後でまた買おう”と考えが変わりました。私は今日も私の心の中を先生に伝え、助言をもらいながら最善を尽くして治療を受けています。
まだ裁判が残っていますし、耐えがたい問題があって退院できないでいますが、変わらず今日より良い明日を期待しながら治療スタッフや先生と力を合わせ、私は今日も一生懸命最善を尽くして努力しています。全ての事を平凡に暮らしていくことが私の一番の願いなのです。
お読みくださりありがとうございました。