∞メール No.16

∞メールの全体は コチラ からダウンロードできます。
一部を抜粋したものを下に掲載しています。

会員の皆様
よい季節です。遊びたくなります。勉強も一生懸命しましょう。
第八回学術集会が近づいております。
学術集会での報告の申込みを皆様からお待ちしております。
大会長を務めて下さる共和会共和病院の元武俊先生によるご挨拶が学会のホームページに掲載されました。
ご覧下さい。

CRCTを受けた方からの報告

自分を誇りに思えるようになりました

M.I.
(2019年5月3日寄稿)

 私は16歳で拒食症になり、その後 過食嘔吐へと形を変え、もう30年以上食べ吐きなしではいられない日々を過ごしています。結婚、出産後は、アルコールの過剰摂取も始まり、その頻度と量は増える一方でした。過食嘔吐と同じく、1日たりとも手放すことはできませんでした。そんな自分の情けなさに、拍車をかけるように15年ほど前から万引きが始まり、微罪処分→起訴猶予→罰金刑→執行猶予付き有罪判決を経て、2013年5月に1年の懲役刑と、執行猶予取り消し分の刑1年の2年を科せられて、刑務所に服役しました。

刑務所では、自助ミーティングや、マインドフルネスといった認知行動療法を主体とした「窃盗教育」が導入されたばかりで、対象者は7名に絞られていました。私もそのメンバーに選んでいただき、必死にその療法にとりくみ、仮釈放で外へ出しても大丈夫と認められる程に頑張りました。他にも、月に2回、1時間の単独カウンセリングを受けさせていただき、仮釈放5ヶ月で2015年1月に出所しました。すぐに仕事も見つかり、保護観察を受けながら、粛々と人生のやり直しに臨んでいたのですが、収監中は無かった食べ吐きが、堰を切ったように再開され、万引きも繰り返すようになりました。あれだけ懲りたはずの刑罰と、更正教育は何だったのかと、自分に愛想をつかすほどでした。

2016年2月に再び逮捕、起訴となり、その時、このまま収監されてもまた同じことの繰り返ししかないと痛感し、共に闘って下さる弁護士先生と医療機関を必死に探しました。

当時は、認知行動療法を取り入れた関東の病院が有名で、そちらでみっちり2日間にわたり診察等を受け、即入院を言い渡されましたが、何かが違う気がしました。いくら裁判に有利とは言え、減刑の手段や、起訴中だからと言う理由で、その治療にすがるのは自分が納得いきませんでした。既に、刑務所で、その治療は十分に厳しく受けていたからです。
その後、自助グループや、回復支援施設、専門家の講演会やディスカッション、ありとあらゆる事柄に東奔西走しましたが、その間に再犯をしてしまい、拘置所に拘留され、なす術もなくなりました。起訴されても万引きが止まらず、弁護士の先生に見放されてもおかしくないほどの頻度でしたが、弁護士先生は辛抱強く寄り添い、向き合い続け、下総精神医療センターに繋がる手配をして下さり、保釈されて条件反射制御法に出会いました。

最初は、生理的報酬がどういうことなのかさえ理解に苦しみました。自分自身に対する罪悪感が強かったため、これは、意思の問題であると思い、また、「依存症である」と言う言葉で納得しており、万引き行動を司る反射連鎖を完全に無駄に動かすことができませんでした。

万引きという行為にも、自己にも、恥と嫌悪の念を抱いていたので、第一信号系がこんなにも健気に生を支えてきた行動を再現して、私に万引きをさせていたことがわかりませんでした。良かった事の書き出しをしていても、自分の根底に「犯罪者」「罪人」「狡い人間」という概念が根付いていたので、万引きが第一信号系の作用によるものだと信じる事がなかなかできませんでした。リスクの大きい過食嘔吐や飲酒、万引きにはあんなにのめりこめるのに、どうしてこの期に及んでも、条件反射制御法にはのめり込めないのかと自分を責める事も多々ありました。動物は、過去の悔恨や未来への不安と言った時間軸に囚われず、今だけを生き、作用に評価、計画、予測、決断等の機能はなく目的を持たないと言いますが、逆にそうなったら、ヒトではなくなると言い訳をつけて、面倒くさい事から逃げていました。だから、治療が苦しかったのだと思います。

治療期間中にあった法廷で「今までの精神科は、薄紙を剥がすように、私を尊重する治療でしたが、下総の治療は、私の心を突き刺して、投げ倒されるように感じます。この先も、もっと辛いと聞いています。でも、治したいので最後まで治療を受け切りたいと思います。」と言ったのを覚えています。

実刑判決が下れば、三か月の治療を待たずして収監の運びになるというとき、私は控訴せずに刑務所へ行こうと考えていたのですが、平井先生は多忙の中、長時間に渡り、私と膝を突き合わせて、丁々発止のやり取りをして下さり、控訴してでも治療を受け切り維持する事を薦めて下さいました。その時、私は、この先生は、ユニフォームな治療をされているように思えるけれど、実は患者一人ひとりの幸せを願ったヒューマンな治療をされているんだと心から感じ、私の中でも少しずつ変化が起こりました。当初は興奮と緊張が混ざった状態になった疑似や想像での反応は徐々に弱まり、良かったこと、辛かったことの書き出し、読み返し、1話についての20単語の書き出しも、苦悩が生じなくなってきました。下総の入院治療を、地獄の苦しみと形容される方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとっては地獄というより、生みの苦しみ、再生の苦しみであり、出産と同じで、今となっては苦しかった記憶は薄れています。

下総への入院中に実刑の言い渡しがありましたが、控訴して治療を完了しました。退院した後、社会内で全く万引きの欲求を感じないので舞い上がり、維持作業が疎かになっていたところに「百獣の王ライオンが強いのは、弱い兎を狩るときも、全力を出すからです。つまり、いつも練習しているのです。」というメールが平井先生から届きました。この言葉は、私が条件反射制御法の維持を確実に行う上で、とても大きかったのです。

控訴審の期間中、万引きの欲求を全く感じず、もちろん、万引きをしない生活を送っていましたが、高等裁判所で2度目の実刑が言い渡されました。受刑中、何度も挫けましたが、1度目の受刑中とは明らかに違うものでした。平井先生からときにくる数行の手紙にも支えられ続け、条件反射制御法を可能な範囲で維持させていただき、おまじないが、生きる糧になりました。今の私は、不思議なくらい、アルコールに対する欲求はありません。アルコールに関しては特に何の対処もしなかったのに、どうして、1日も欠かす事の出来なかった習慣が、必要でなくなったのだろう?と不思議に思うほど、人が飲んでいるのを見ても、自分とは無関係です。これが不思議です。

窃盗に関しても「1度目の受刑後とは全く違う」と家族が驚くほど、買い物をしていても、動きや表情が違うそうで、安心して見ていられるそうです。欲求も衝動も今の所全くありません。

ただ、過食に関しては、未だもって一進一退を繰り返しています。日々、摂食しないわけにはいかない中で、食べる行為を完全に断ち切るわけにはいかない分、執拗です。しかしながら、毎週平井先生に報告する事、制御刺激や書き出しをする事で、精神を落ち着け、自分を受け入れています。

まだまだ、道半ばではありますが、条件反射制御法に出会えなければ、自分はどうなっていただろうとも思います。根気よく付き合って下さった弁護士先生、又、起訴中に再犯を何度も繰り返したにも拘らず、下総精神医療センターで治療した期間を未決通算期間として認めて下さり2か月を差し引いて下さった裁量と、私の闘いを見守り続けて下さった裁判長、下総精神医療センターで条件反射制御法と私を信じ、支え続けて下さったプライマリーナースやスタッフに感謝申し上げたい気持ちにまでしていただけました。
条件反射制御法を「維持」できた自分を誇りに思うと同時に、御自身の治療に確固たる信念を持ち、私をここまで導いて下さった平井先生に感謝いたします。

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